【沖縄の名前】名前に「朝」がつく人は高貴な家柄!?
沖縄で名前に『朝』がつく人について紹介します。
名前に「朝」がつく人は高貴な人!?
沖縄で生活していると、不思議と「朝」の漢字がつく名前の人が多いのが気になってきます。
「朝樹(あさき)」「朝薫(ちょうくん)」「朝苗(ちょうびょう)」など、名前に「朝」がつきます。
最初は、「名前に『朝』をつけるのが、流行なのかな?」と思っていたんですが、調べてみると意外な事実がわかってきました。
「朝」のつく人は尚王家の一族
調べてみると、尚王家の一族の人々は名前に「朝」をつけたという歴史があったことがわかりました。
沖縄の姓は一つの男系血族に与えられたもの。
一つの姓には一つ決まった名乗頭(なのりがしら)があり、名乗に「朝」がつく人は、姓は「向」。
「向」は尚王家の一族に与えられた姓なので、「朝」がつく人は「尚王家の一族」ということになります。
つまり、昔は、姓が「向」の人しか名前に「朝」をつけることができなかったんです。
現代では「朝」がつく人は尚王家の人だけとは限りませんが、沖縄の歴史的な人物にとっては当てはまる法則です。
例えば、琉球五偉人の一人、政治家の「宜湾朝保(ぎわんちょうほ)」、組踊りの創始者「玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)」などが挙げられます。
昔は名前は、かなり重要なものだったようです。
沖縄の歴史的な書物「球陽」には、尚貞王時代の1690年に「臣士に姓を賜った」という記述があるので、沖縄の苗字の歴史は、この頃に始まったとされています。
今でも、お家によっては、代々「男の子」の名前には「朝」をつける習慣が残る家もあるようです。
歴史的な背景を知ると、名前一つとっても、面白い歴史が隠されています。
昔の沖縄の名前の呼び方
朝がつく人が尚王家の一族だった時代。
昔の沖縄では、士族と百姓とを区別するものでした。
旧藩時代は、平民は姓を持つことは許されず、士族にのみ姓や系図が認められた社会。
沖縄の昔の偉人を調べていくと、とてつもなく名前が長い人がたくさん出てきます。
先ほど紹介した「宜湾朝保」も正式な名前は、
「向有恒宜湾親方朝保(しょうゆうこうぎわんうぇーかたちょうほ)」
という名前になります。
長い名前ですが、実は、この長い名前にも「ある法則」に従ってつけられています。
その法則というのが、
- 「姓」+「唐名」+「苗字」+「位階」+「名乗」
宜湾朝保さんを例にとると、
・姓が「向」
・唐名が「有恒」
・苗字が「宜湾」
・位階が「親方」
・名乗が「朝保」
となっています。
全部合わせて「向有恒宜湾親方朝保」。
現在の「苗字+名前」だと「宜湾朝保」となります。
同じように組踊りの創始者「玉城朝薫」は正式名称が「向受祐玉城親方朝薫」。
・姓が「向」
・唐名が「受祐」
・苗字が「玉城」
・位階が「親方」
・名乗が「朝薫」
となります。
姓が「向」だったら名乗(現在の名)には「朝」をつけるのが当時のルールでした。
名乗だけでも、身分がわかるようにしていたんでしょうね。
現在でも、名前に伝統を引き継いで「朝」がついている人もいれば、偉人にあやかって「朝」をつけている人もいる。
沖縄の人の名前の「朝」には、そんな特別な意味が込められています。