大濱信泉記念館
こんにちは。石垣島ナビです。
石垣島出身の有名人と言えば、具志堅用高さんが有名ですが、具志堅さんのほかにも偉大な人がたくさんいることを知っていますか?
その中の1人が『大濱信泉』さんです。
目次
大濱信泉記念館
大濱信泉
その中のひとりが「大濱信泉(おおはま のぶもと)」さん。早稲田大学の総長をつとめる中、沖縄復帰運動にも関わった人でもあります。
大浜信泉は『沖縄復帰』の立役者
若い人には沖縄復帰って何?と思う人もいるかもしれませんが、その昔、沖縄は日本ではありませんでした。という歴史があります。
琉球王国、琉球藩、沖縄県
もともと、琉球王国という独立国でしたが、薩摩藩が琉球へ侵攻、琉球藩となりました。その後、廃藩置県で沖縄県へと変化します。
その後、第二次世界対戦となり沖縄本島では本土決戦と呼ばれる戦闘が行われる事態に。
本州では空襲での攻撃のみでしたが、沖縄では米国の兵士が上陸し地上で戦闘が行われた歴史があります。多くの民間人が犠牲になり、今でも埋没している遺骨がたくさんあり、戦争の悲惨さを後世に伝えています。
アメリカ軍統治下
戦後はアメリカ統治下におかれることとなります。琉球政府をアメリカ軍政下におき、多くの軍事基地を作りました。
アメリカ軍による事件や事故が多発し、亡くなる人も出てしまうほど混乱した時代。
住民も反発運動を起こして日本復帰を目指して復帰活動が行われることとなります。
コザ暴動と日本復帰
1970年にコザ市(現在の沖縄市)で起きたコザ暴動が発生。住民の怒りは頂点に達している中、1972年佐藤栄作首相の時代に日本復帰を果たし、再び沖縄県となった。そんな歴史があります。
沖縄が日本に復帰したのは、つい最近のことなのです。
本土復帰の背景をつくる
そんな激動の時代を経てきた沖縄。大濱信泉さんは1962年に「沖縄問題を話し合う会」をつくり、1964年にはこの会を「沖縄問題解決推進協議会」に発展させ代表委員となりました。
佐藤首相の沖縄訪問の際には特別顧問となり、日米の政財界人を動員して、日本復帰の背景づくりに尽力した人でもあります。
まさに、大濱信泉さんがいなければ本土復帰はもう少し後になっていたかもしれません。
大濱信泉の名言
そんな大濱信泉さんが後世に残した言葉が記念館におさめられています。
思想は高潔に
生活は簡素に
すごく短い言葉ですが、大濱さんの人となりが見えてくる言葉です。自分に厳しい人だったのでしょうね。志は高く持ち、自分の行動は自分で管理する。
そんな忍耐強く、芯の通った生き方が連想されます。
人の価値は生まれた場所によって決まるものではない。
いかに努力し自分を磨くかによって決まるものである。
この言葉も心に響きます。
環境を嘆くのではなく自分自身の努力によって人生はつかみとっていくものである。そんな言葉が聞こえてくるようです。
魂を煌めかせる言葉
沖縄の本土復帰に尽力した大濱信泉さん。自分がいかに劣勢な立場に置かれても、不屈の精神で努力されたのでしょう。悪い立場に置かれた時こそ、その人の精神力、胆力が試されてきます。
よい環境にいる時は誰でもよい結果が出せて当たり前。悪い環境に置かれた時にいかに努力できるか、いかに自分自信を高めて悪い状況を打破できるか。
それはその人の中に宿る魂をどれだけ煌めかせられるかにかかっています。その魂を煌めかせる為にも、己の身は己で律し、崇高に生きていく志を研ぎ澄ませておかなければならない。
すごく短い言葉ですが、心に刻み、日々の生活の中で実践していくべき言葉を教えてもらいました。
世界を変える活動が生まれる場
実際の書は館内で見ることができます。会議室やホールになっていて今も多くの活動が生まれています。
生前の大濱信泉さんの意思が今も石垣では受け継がれています。これから、また新しい活動がこの記念館から生まれ、沖縄を、日本を、世界を変えていくことでしょう。
それじゃあ、楽しく旅してね!
【アクセス】石垣島離島ターミナルから約1km
【路線バス】系統④、⑩空港線「バスターミナル」下車、徒歩20分
【おすすめの時期】通年
【みどころ】崇高な魂を持つ自制の言葉
【滞在時間】約30分
【営業時間】9時00分~18時00分
【住所】石垣市登野城2-70
【電話番号】0980-84-1551
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