宮良殿内「石垣島の歴史的建造物」沖縄に残る伝統的なお屋敷
こんにちは。石垣島ナビです。
沖縄には、赤瓦、ヒンプンなどが特徴的な伝統的な建造物が残されています。石垣島にも「宮良殿内(みやらどぅんち)」と呼ばれるお屋敷がある。
今回は「宮良殿内(みやらどぅんち)」について紹介します。
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目次
「宮良殿内(みやらどぅんち)」
石垣島の大川にあるお屋敷
石垣島は、昔、間切制度(まぎりせいど)という制度で統治されていました。
間切(まぎり)ってのは、都道府県の線引きみたいなもので、石垣島周辺の島々は「石垣」「宮良」「大浜」という3つの間切で仕切られていました。「宮良間切」を統治していたのが宮良の頭職(かしらしょく)。その頭職が住んでいたお屋敷が「宮良殿内(みやらどぅんち)」です。
昔の<宮良間切>は現在の「石垣島の宮良・白保・桃里・伊原間・安良・平久保・野底、西表島の古見・高那、小浜島、鳩間島」でした。島をまたいで統治されており、石垣島を中心とした島々は沖縄本島から見ると「諸島」のような扱いだったことがわかります。
小さい島々を「一つの集合体」として考えていたようです。
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これは想像ですが、「頭職たちが、力をつけるのを避けるような統治のさせ方だなぁ」と感じます。1つの島を専門的に統治させてしまうと、トップが力をつけてしまい、下剋上が起こりかねない。そんな下剋上を起こさせないために、3人の頭職に主要の石垣島を分割して統治させ、さらに小さい島々も追加で統治させる。
昔は、島を渡るでけでも大変なこと。島をまたいだ統治にはかなりの経済力、労力が必要だったと考えられます。
徳川幕府が各地の大名の経済力を削ぐために参勤交代をさせたように、琉球王朝の役人たちも、間切統治をさせられて王様に反抗しないように管理されていたように感じます。
伝統的沖縄の建築物
そんな宮良間切のお偉いさんが住んでいた「宮良殿内(みやらどぅんち)」が現在も残っています。間切制度は古くは1628年の書簡から記録があり、明治時代に廃止される(1908年「沖縄県及島嶼町村制」施行)まで、約300年もの間使われた制度です。
琉球王朝からは、宮良間切の長の家としては「豪華すぎるから」取り壊しなさいという命令が5回もありましたが、従わずに今の姿を残しています。
明治時代には「茅葺(かやぶき)屋根」に変えるよう命じられたので、一時「かやぶき屋根」に変えられた時代もありましたが、明治後半には、再び「瓦(かわら)屋根」へと戻しています。
明治時代には西表島の調査などをして「南嶋探検」を記した、青森県、弘前士族の<笹森儀助>が宿泊したと言われています。当時の石垣島ではかなり豪華な家だったようで、「家屋や庭園は沖縄県下でも稀である」と言われています。
赤瓦
まずは、赤瓦。赤瓦の家って沖縄の伝統的な家っていうイメージだと思いますが、実はかなりのお金持ちしか使えなかった高級素材なんです。
今の時代では、芸能人が建てるような豪邸にしか使うことができなかった素材。
石垣島周辺の離島では、役人も「かやぶき屋根」のお家に住んでいたので、石垣島、竹富島以外の離島では赤瓦屋根の歴史的建造物は残されていません。西表島の祖納にある「新盛家」というお屋敷もかやぶき屋根。
かなり位の高いお役人、豪族、士族しか使うことを許されていなかったのが「赤瓦」です。
そんな赤瓦を存分に使った建築様式からは、当時の頭職の力の大きさ、影響力の大きさが伺い知れます。
ヒンプン
ヒンプンってのは、門をくぐった先にある壁のことで、「目隠し」になったり「魔除け」としての意味があると言われている壁です。
沖縄では、マジムン(魔物)は「まっすぐしか進めない」と言われています。万が一、屋敷の門から魔物が入ってきた時も「壁があれば『ドンッ』とぶつかって、家の中へ入ってくるのを防げるじゃん!」って感じで作られています。
「敵の襲撃を防ぐため」とも言われていますが、基本横から回り込めるため、防御用の壁としてはあまり意味がなかったんじゃないかと考えられています。今では本当の意味はわかりませんが、ヒンプンがある昔ながらのお屋敷が残っているのは珍しいです。
宮良殿内のヒンプンには更に門がつけられていて、豪華な作りです。ヒンプン中央の中門は、重要な祭事や慶事、凶事の際のみに使われたと言われています。
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殿内(どぅんち)って、なに?
殿内(どぅんち)って名前の意味を知るには、沖縄の姓と名の由来から勉強する必要があるんですが、簡単にいうと「琉球王朝の王様の親戚のお屋敷」って意味です。
琉球王朝を統一した王様で「尚巴志(しょうはし)」って王様がいるんですが、尚巴志が琉球王朝を作った後に、中国からの冊封使(さっぽうし)が「じゃあ、『尚』って名前あげるから、ユーは『尚』って名乗りなよ!」って言われて「尚」の名前を使うようになったようです。
そして、遠縁にあたる親戚には「向」の名前を与えた。尚巴志の家の本流が「尚」で遠縁が「向」。
「本流の「尚」のお家は<御殿(うどん)>といい別流の「向」のお家は<殿内(とんち)>って呼ぼうぜ!」となって「御殿」と「殿内」が生まれたと言われています。
「御殿(うどん=うどぅん)」は十九家、「殿内(とんち=どぅんち)」は十四家と決められています。
宮良殿内も「向」家の流れを汲んでいるのか、もしくは力の強さを示すために、あやかって付けられた名前なんでしょう。
沖縄本島の首里城近くには玉陵(たまうどぅん<玉御殿>)という王様のお墓があります。「尚」氏の歴代の王様が祀られているお墓です。玉陵は伊是名、山川にも「伊是名玉御殿」「山川の玉陵」という名前で残されています。
沖縄各地で見られる御殿、殿内には、「王様の親戚ですよ」って意味を現代まで語り継いでくれています。
まとめ
沖縄の枯山水のお庭を見ることができるお屋敷です。拝観料は大人200円、子供100円と安いです。建物の中に入ることはできず、お庭とギャラリーのみの拝観です。
家の中に入ってゆっくりできたら最高なんですが、入ることはできない。拝観料は管理人さんとのおしゃべりができる料金かと。色々お話を聞くと面白いので、時間がある時に寄るといいスポットです。
琉球石灰岩を使った枯山水は荒々しく、宮良家に伝わる品物ギャラリーは、「こういうものがあったんだぁ」としみじみ感じることができる。歴史好き、歴史に詳しい人、建築好きな人が行くと楽しめる観光スポットです。
宮良殿内の枯山水は仲本家庭園の枯山水に通じる趣があります。
関連記事>>>【仲本家庭園】都会の中に広がる緑のオアシス
一般的な観光客にはあまりおすすめできないかも。「沖縄の建築物はこういう雰囲気のものだったんだ」ってのを知りたい人、歴史巡りが好きな人は寄ってみてください。
それじゃあ、楽しく旅してね!
【アクセス】離島ターミナルから約700m
【路線バス】全系統「バスターミナル」下車、徒歩10分
【おすすめの時期】通年
【みどころ】沖縄の伝統的家屋、歴史的建造物
【滞在時間】約1時間
【営業時間】9時00分~17時00分
【住所】沖縄県石垣市大川178
【電話番号】0980-82-2767
【おすすめ度】★★★☆☆
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